一冊の本を読んでも、何冊も読んだかのように活用度が高い人がいる。反対に、何冊もの本を読んでも一冊の本の内容ほども活用ができない人もいる。正直に言うと、私は後者に当たる。読書が好きで様々な本を読んでいる。また、本を読みながら、共感することや覚えたい内容には線を引くか空白に感想を記録したりする。しかし、本を全部読んだらほとんどの内容は忘れてしまう。年のために記憶力が衰退しているのではなくて、若い時からもそうだった。長い間、このように読書の生産性が落ちる自分に対して不満があった。でも、最近は考えを変えた。一冊の本を読んでからそこで一つだけでも学んだこと、悟ったこと、残ることがあればそれで充分だと思えばよい。それでも本は読むべき価値があると自らを慰めるようになった。
最近「愛とは」という本を読んだ。ドイツ生まれのアメリカの精神分析学者であり、哲学者でもあるエーリヒ・フロムの著書である。この本は34か国の言語で翻訳されて、少なくても250万部以上売れたベストセラーである。230ページの本に共感できる内容が多くてすべてを覚えておきたかった。それはやはり欲心である。それで、強調点をまとめて共有したい。
第一、自分を愛すれば他人を愛することが可能であるという。その二つはどちらかを選ぶものではなくて自分を愛する人であれば、他人を自分を愛するように愛することができるという主張である。
第二、愛は感情ではなくて意志であるという。愛が感情であるなら互いに愛することを約束する根拠はないと言い切る。特に結婚が成立すれば意志の行為が愛の継続性を保証する。それで愛は徹底した意志と委任の行為であると語る。
第三、愛は対象ではなくてテクニックの問題であるという。例えば絵を描くときに絵が上手に描けないからと言ってモデルを何度変えても、絵の上手さは変わらないという指摘である。結局は自分が絵を描くテクニックを磨く努力をしなければ、良い絵が描けないのと同じ論理である。愛も同様で、愛のテクニックを磨く努力もなく相手に責任を擦り付けるから失敗で終わるという。そういえば、このような原理はすでにイエス様が教えられたものと一致する。イエス様も「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」と言われた。自分を愛することが隣人の愛に繋がるのである。イエス様も「敵までも愛しなさい」と言われた。感情ではなくて意志的な努力での愛である。イエス様も「自分にしてもらいたいことは自分からそのようにしなさい」と言われた。それが一番円滑で良い関係を作るために必要な愛のテクニックである。魯牧師。
留言