コロナ事態のために読書に費やす時間が増えた。インターネットで韓国のベストセラーを検索しながら「23歳、死ぬことにした」というタイトルの本を見つけた。若い青年に何か死ぬほどの辛いことでも生じたのだろうかという好奇心が湧いた。ちょうど、私にも同じ年齢の娘がいるため、一緒に読んだら良いと思い、本を注文した。本の内容はアフリカ旅行記のようなものだった。著者は、愛する肉親の兄が20代前半に病死する悲しい経験をした。それが、生きる理由と目的に対する内面的な放浪のきっかけとなったようだった。それがさらに厭世的な考えに追われる自分を見ながら、脱出口としてアフリカ行きを決行した。アフリカの地で死んでも良いという覚悟で片道だけの航空券をもって無計画のまま飛んで行ったのである。本を読みながら、死ぬことにしたという青年が生きる理由と目標を見つけて一所懸命に生きることを決心した、という反転の結果を期待した。
一度も行ったことのないアフリカの国々での人々の生活や文化に対する間接的な経験は、本で得られた興味を引く部分だった。著者は血気旺盛な若者で、アフリカでお酒やタバコ、そして遊興の文化を楽しんだことを隠すことなく綴っていた。しかし、生に対する本質的な深い悩みや自分の存在の意味に対する省察の痕跡は全然見えなかった。それが残念に思わされる部分ではあったが、傍ら現世代のイエス様を知らないで生きている若者たちの姿を短編的に見ることができた。幸いなことに、アフリカでの治安の悪さにさらされながら本能的に死にたくないと感じたことや、生きていることに対して感謝の心を持つようになったのが印象的だった。アフリカで死にそうになった苦労をしたのに、再びアフリカの地に向かって行った著者のチャレンジ精神を高く評価したい。
言ってみると、私も青年の時に死ぬことを決心した記憶がある。貧しさが嫌で、ひたすらお金を稼ぐことを人生の目的にした。要するに、肉体的によく食べてよく飲むことに最高の価値を置いたと言える。しかし、ある瞬間必ず消え去るものを目的にする人生がとても虚しく感じられた。そのようなときにイエス・キリストに出会った。私の人生の中で一番強力な変化と驚くべき救いを受けた。そして、生きる目的が変わった。私が、私のために存在しているのではないことを悟った。それで決心した。私のために十字架で死なれた方、その方のために生きて、その方のために進んで死ぬことにした。その時が23歳の時である。その後30年以上が過ぎた。今もその決心は変わらない。むしろ以前よりもより切に願うようになった。死ぬことにしたのがより豊かな生の秘訣になったことを体験できたからである。
魯牧師。
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