聖書:使徒の働き27:27-32
使徒パウロをローマまで移送する船には276名が乗っていました(37節)。その船が暴風に追われて船に乗っている人々は命の危険さえ感じていました。その時に、使徒パウロが主なる神様の御使いが現れて知らせてくれたみことばを聞いて船に乗っている人々を安心させました。しかし、それにもかかわらず、中々不安な心から解放されないで恐れている人々がいました。そして、その心からしてはいけない利己的な行動をする群れがいました。
彼らは水夫たちです。彼らが海の水の深さを測ってみると陸地が近づいていることをわかりました。そしたら、いかりをおろすように見せかけて、小舟を海におろしました。それは自分たちだけが小舟に乗って船から逃げようとしたことです。パウロがその事実を知り、百人隊長と兵士たちに「あの人たちが船にとどまっていなければ、あなたがたも助かりません」(31節)と言いました。それで、兵士たちは、小舟の綱を絶ち切って、そのまま流れ去るのに任せました。同じ船に乗っている運命共同体の状態でも自分らだけが生きようとして、他人を配慮しない人間の利己的な本性を見ることができます。
水夫たちは船のことをよく知り、海に対しても専門家と言えます。ですから、彼らは最後まで船に残って他人を助ける責任を尽くすべき人であると言えます。それなのに、自分たちだけが助かったら他人は関係ないという態度を見せます。それはあまりにも利己的です。利己的なのは他人を配慮しないことももちろん、他人に損を与えても自分の益さえあればそれを優先します。利己的なことは、悪魔と属性が似ているために悪魔的でもあります。悪魔はいつも自分の欲望を満たすためにすべての人を滅びの道に連れて行くからです(ヨハネ10:10)。
イエス様を信じるなら必然的にイエス様から二つのことを学ぶべきです。まずは、イエス様が教えてくださったみことばであり、次はイエス様の行われた姿です。イエス様は主なる神様と隣人を愛するように教えてくださり(マタイ22:37-40)、ご自分の命を十字架での犠牲の死にまでされて愛を実践されました(ローマ6:6-7;エペソ2:16)。私たちにも利己的な本性があります。信仰の力でその本性を抑えて、イエス様の教えに従い、イエス様の行いを見習いましょう。自分が犠牲になってでも人を生かすべきです(ルカ10:30-37;ヤコブ2:14-17)。
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