• 綾瀬東部教会

2020.09.06 御言葉 : 十字架のことば

聖書:ⅠコリントⅠ:18-25

題目:十字架のことば


 本文で使徒パウロはイエス・キリストの十字架のことばについて語っています。その特徴は何でしょうか。


第一、 十字架は愚かで弱く見えるということです(18-21節)


当時の十字架は罪びとを死刑にする方法です。しかも、一番凶悪な罪びとを殺す死刑の方法です。それは無能な敗北の象徴であり、主なる神様から捨てられた呪いの意味でした。そのために十字架を肯定的に考える人はいませんでした。ところが、メシアなるイエス様が十字架で人類を救われたというから、それは愚かで弱いものだといいあざ笑う人が普通でした(ルカ23:35-39)。


第二、 十字架は人々の期待とは異なるということです(22-24節)


ユダヤ人は目に見えるしるしを要求し、ギリシャ人は人間の理性による知恵を追求しました。しかし、イエス様は十字架で死なれました。それはユダヤ人から見ると失敗者に見えて、ギリシャ人には愚かな姿に見えるわけです。人間的な常識と期待とは全然異なるのが十字架です。そのために人々が中々信じることにならないのです(マタイ16:21-23)。


第三、 十字架で滅びと救いが分かれるということです(18、24-25節)


十字架を愚かで失敗として見ると滅びに至る人であり、十字架を神の力と知恵として見ると救いを受ける召された人であります。十字架が主なる神様の力と知恵になる理由は、1.十字架が主なる神様の無償の愛であり、2.すべての罪を赦される秘訣であり、3.永遠の命へ導いてくださるからです(Ⅱコリント13:4;ガラテヤ2:20)。


十字架のない救いはありません。十字架があってこそ罪の赦しがあるからです(へブル9:22)。私たちはいつもイエス・キリストの十字架を見上げて歩みましょう(へブル12:2)。そこから主のくださる力と知恵が臨まれるからです。アーメン。


성경: 고린도전서1:18-25

제목: 십자가의 도

본문에서 사도바울은 예수 그리스도의 십자가의 도에 대해 강변하고 있습니다. 그 특징은 무엇입니까?

첫째, 십자가는 미련하고 어리석게 보인다는 것입니다(18-21절)

당시에 십자가는 죄인을 사형시키는 형틀입니다. 그것도 가장 흉악한 죄인을 죽이는 사형의 방법입니다. 그것은 무능한 패배의 상징이요 하나님께 버림받은 저주의 형상이었습니다. 그래서 십자가를 좋게 생각하는 사람은 없었습니다. 그런데 메시야 되신 예수그리스도가 십자가로 인류를 구원하셨다고 하니 미련하고 어리석다고 코웃음을 치는 것이 보통이었습니다(눅23:35-39).

둘째, 십자가는 사람들의 기대와는 다르다는 것입니다(22-24절)

유대인들은 눈에 보이는 표적을 구하고 헬라인들은 인간 이성에 의한 지혜를 기대하고 바랐습니다. 그런데 예수님을 십자가에 죽으셨습니다. 그것은 유대인에게는 실패한 자로 보일 뿐이고, 헬라인에게는 미련하게 보인 것입니다. 인간적인 상식과 기대와는 전혀 다른 것이 십자가입니다. 그래서 사람들이 쉽게 믿지 못하는 것입니다(마16:21-23).

셋째, 십자가로 멸망과 구원이 나뉜다는 것입니다(18,24-25절)

십자가를 미련하고 어리석은 실패로 보면 멸망하는 자들이고, 십자가를 하나님의 능력이요 하나님의 지혜로 보면 구원을 얻은 하나님의 부르심을 입은 자들입니다. 하나님의 능력과 지혜가 되는 이유는 십자가가 하나님의 극치의 사랑이요, 모든 죄를 사함 받는 비결이요, 영원한 생명으로 인도함이 되기 때문입니다(고후13:4; 갈2:20).

십자가가 없는 구원은 없습니다. 십자가가 있어야 죄사함이 있기 때문입니다(히9:22). 우리는 항상 예수 그리스도의 십자가를 바라보고 살아야 합니다(히12:2). 거기에서 위로부터 주시는 하나님의 능력과 지혜가 임하기 때문입니다. 아멘.

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