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  • 綾瀬東部教会

2020.10.18 メッセージ:幼子に対するように

聖書:Ⅰコリント3:1-4

 イエス・キリストを信じて霊的に新生された命を得たならその命は必ず成長することになります。しかし、コリント教会の信者たちは成長せずに幼子の状態にとどまっていました。それでは、どのような者が幼子の信仰ですか。


1. 乳だけを飲んで堅い食物を食べない者です(1-2節)

これは霊的な食べ物を食べる原理です。主のみことばを食べるときに幼子のような人は乳のように柔らかいものを好みますが、成長した信仰の人は堅いものを好みます(へブル5:12-14)。その違いは御霊に属するか、肉に属するかによります(1節)。例えば、イエス様を信じれば祝福受けますというなら乳のようなものであるなら、イエス様を信じると苦しみを受けますというのは堅い食物のようなものです。イエス様の活動された当時もユダヤ人たちはイエス様の教えを理解できずに反発して、さらに迫害しました(ヨハネ8:21-12、31-33、56-57)。


2. 妬みや争いをする者です(3-4節)

以前、1章を学ぶときも話しましたが、コリント教会には信徒の間で派閥ができて対立していました(1:12)。使徒パウロは本文でもそのことを再び言及しています。妬むことが過程であるなら争いはその結果で現れます。それで、妬まなければ争いも生じません。妬みは比べることから生まれます。その比べることが人間の肉の欲からのものです。違う言葉で言えば主の恵みの中に留まっていない結果です(詩編16:11)。また、愛が冷めた証拠でもあります(ヨハネ13:35)。私たちが救いの恵みを忘れないでイエス・キリストの愛で行えば妬みと争いは消えます。

私たちは幼子のように乳だけを飲んで妬みと争うことをやめるべきです(Ⅰコリント13:11)。むしろ、信仰がイエス・キリストまでに成長することに力を尽くしましょう(エペソ4:13-15)。アーメン。



성경: 고린도전서3:1-4 제목: 어린아이들을 대함과 같이

예수그리스도를 믿고 영적으로 거듭난 생명을 얻었다면 그 생명은 반드시 성장을 하게 됩니다. 그러나 고린도교회 신자들은 성장하지 못하고 어린아이 상태에 머물러 있는 모습이 있습니다. 어떤 자가 어린아이 신앙입니까?


첫째, 젖만 먹고 밥을 먹지 못하는 자입니다(1-2절)

이것은 영적인 양식을 먹는 원리입니다. 하나님의 말씀을 먹을 때에 어린아이 같은 신자는 젖과 같은 부드러운 것을 좋아하지만 성장한 신자는 밥과 같은 단단한 것을 좋아합니다(히5:12-14). 그 차이는 영적인 것이냐 육신의 것이냐 어느 쪽에 속하느냐에 따라 달라집니다(1절). 예를 들면 예수님을 믿으면 복 받는다 수준이 젖이라면 예수님을 믿으면 고난을 받는다 하는 것은 밥과 같은 것입니다. 예수님 당시에도 유대교 신자들은 예수님의 가르침을 이해하지 못했고 도리어 반발하며 대적했습니다(요8:21-22, 31-33, 56-57).


둘째, 시기와 분쟁하는 자입니다(3-4절)

지난 번 1장을 배우면서도 살펴보았듯이 고린도교회에는 신자 사이에 당파를 만들어 대립하는 일이 있었습니다(1:12). 사도바울은 본문에서도 그 일을 재차 언급하고 있는 것입니다. 시기하는 것이 과정이면 분쟁은 그 결과로 나타나는 것입니다. 그래서 시기하지 않으면 분쟁도 없습니다. 시기는 비교에서 생깁니다. 그 비교가 바로 육신의 소욕에서 나옵니다. 그것은 다른 말로 하나님의 은혜 안에 거하지 못한 결과입니다(시16:11). 또한 사랑이 식어진 증거입니다(요13:35). 우리가 구원의 은혜를 늘 잊지 않고 예수 그리스도의 사랑으로 행하면 시기와 분쟁은 사라집니다.


우리는 모두 어린아이처럼 젖만 먹고 시기와 분쟁을 일삼는 일을 벗어버려야 합니다(고전13:11). 도리어 믿음이 예수 그리스도에게 까지 자라나기를 힘써야 합니다(엡4:13-15). 아멘



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