毎年行われる夏の連合修養会が今年も開かれた。コロナ事態のために萎縮した雰囲気で、周囲からの心配の声もあった。それでか例年より少ない35名の参加だったが、小学生から90歳の牧師先生ご夫妻まで一緒だった。主なる神様のくださる豊かな恵みの中ですべての日程を無事に終えることができた。今年の修養会は特別な感謝のある貴重な時間だった。その感謝を紙面を通じて分かち合いたいと思う。
第一に、小学生3人を含めて参加者の半分くらいは青年を中心とした次の世代だった。超高齢化現象で日本の多くの教会には青年や子供を見るのが難しい。青年たちはただ参加しただけではなくて伴奏や教師などいろいろな奉仕の働きを熱心に担当してくれた。これから青年たちが教会の主役として仕えて福音宣教のために用いられることを切実に願い、また祈る。
第二に、初めの日の集まりで皆が順に今回の修養会に期待することが何かを分かち合った。そして、最終日にはそれぞれ修養会で受けた恵みを分かち合った。皆が期待したものを得る恵みを受けたと言い、感謝と喜びの証をした。いろいろな面で歴代最高の修養会だったという反応が多かった。
第三に、牧師、講道師、伝道師などの先生方の講義と説教がとても充実して豊かだった。主なる神様の時、礼拝、清潔、従順、教会、愛、信徒の霊的なアイデンティティ、祈り、疑うことについてなどのタイトルで語られた内容だった。特に講道師と伝道師先生の説教は、まだ説教者としての経験が少ないにも関わらずとても向上したように感じた。彼らの説教を通して多くの恵みを受けた。これからも立派な説教者として良い働きができると信じて期待する。
第四に、大阪の南先生の告白を聞きながら主に感謝と賛美を捧げた。南先生は青年のときに留学で日本に来て我が教会でイエス様に出会った。その後、献身して牧師の道を歩んできた。ところが、2年前頃、牧会の負担と燃え尽きのために大きな苦しみを味わった。牧会を担って行けるエネルギーがなくなった状態だった。それで休暇を得て休むことで主なる神様の癒しと回復の恵みを経験し、今は働きに復帰して一生懸命に牧会に努めている。今回南先生が私に「牧師をしていることが本当に感謝であり、とても幸せです」今まで初めて聞いた言葉である。その言葉を聞きながらむしろ私がより幸せを感じて安心した。私なりには南先生がいつも牧会の重荷を背負って疲れているように見えてもどかしい心があったからである。南先生の言葉に返すように私も行った。「牧師が信徒たちに与えていける大きなプレゼントは幸せですね。牧師が幸せであってこそ幸せを与えることができますね!」
私は幸せな牧師である。魯牧師。
Comments