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  • 綾瀬東部教会

2021.02.07 メッセージ:私たちはこの世のちり

聖書:Ⅰコリント4:9-13

題目:私たちはこの世のちり


 本文はコリント教会の信徒たちに対しての使徒パウロの叱りです。本文を通じて学ぶべき大切な教えは何でしょうか。


 第一、 肉体の楽さの故に霊的に堕落した者たちです(10節)。

 コリント教会の信徒たちの状態です。彼らはすでに満ち足りて、豊かになって、王様ぶっている者です(8節)。さらに、賢くて、強くて、栄誉を持っている者です(10節)。すなわち、霊的な高慢の状態です。これは当時のコリントが商業が盛んで富んでいた都市である環境的な要因もあります。まるでラオデキヤ教会のようです(黙示録3:15-18)。肉体的な豊かさが霊的な貧困を招くことが多いです。本当の信仰は肉体的な豊かさの中にいても、主なる神様第一で生きることです(Ⅱサムエル7:1-2)。肉体的な富や楽さを信仰の目的にしないでください。それが堕落の道です。


 第二、 肉体の苦しみの中でも霊的に満たされている者です(9,11-13節)

 使徒パウロ一行がそうです。彼らは死罪に決まった者のようで、行列のしんがりとして引き出されました(9節)。さらに、愚かで弱くて卑しめられました(10節)。植えて、渇いて、着るものもなくて、虐待されて、落ち着く先もありません。苦労して働いて、辱められて、迫害されて、ののしられて、世のちり、あらゆるもののかすのようになりました(11-13節)。それ以外にも多くの苦難を受けました(Ⅱコリント11:23-29)。ところが、使徒パウロはそのような苦難の中でも命を懸けて使命に従いました(使徒20:22-24)。それをイエス様の焼き印を帯びていると喜びました(ガラテヤ6:17)。私たちもひたすら天の御国への希望で最後まで使命を全うするべきです(へブル3:6,14)。


 コリント教会の信徒たちの致命的な過ちは、奴隷となるべきなのに王様ぶったことです(8節)。何よりコリント教会を立てて教えた指導者使徒パウロは福音のために死の苦しみを味わうのに、彼らに苦しみに一切参加しなかったことです(マタイ25:31-46)。イエス様は真の王様なのに、奴隷みたいに仕えました。アーメン。


성경: 고린도전서4:9-13

제목: 만물의 찌끼같이


 본문은 고린도교회 성도들을 향한 사도바울의 책망입니다. 본문을 통해 깨달을 중요한 가르침은 무엇입니까?


 첫째, 육체의 평안 함으로 영적으로 타락한 자들입니다(10절)

 고린도교회성도들의 상태입니다. 그들은 이미 배부르며 부요하며 왕 노릇하는 자들이었습니다(8절). 게다가 스스로 지혜롭고 강하고 존귀한 자리에 있었습니다(10절). 즉 영적인 교만한 가운데 있었던 것입니다. 이것은 고린도가 당시 상업이 발달한 부요한 도시라는 환경적 요인도 있습니다. 마치 라오디게아 교회와 같습니다(계3:15-18). 육신적인 풍요가 영적인 빈곤을 부르는 일이 많습니다. 참 믿음은 육신적인 풍요에도 변함없이 하나님제일로 사는 것입니다(삼하7:1-2). 육체적인 부나 평안을 믿음의 목적으로 삼지 마십시오. 그것이 타락의 길입니다.


 둘째, 육체의 고난 중에도 영적으로 충만한 자들입니다(9, 11-13절)

 사도바울 일행이 그랬습니다. 그들은 죽이기로 작정한 자 같았고 모두에게 구경거리가 된 것 같았습니다(9절). 심지어 미련하고 약하고 비천하고(10절), 주리고 목마르고 헐벗고 매맞고 정처가 없고 일을 하고 모욕과 핍박과 비방을 당하고 세상의 찌끼가 된 것 같았습니다(11-13절). 그것 외에도 다른 많은 고난을 받았습니다(고후11:23-29). 그런데 사도바울은 그런 고난속에서도 생명을 걸고 사명에 순종했습니다(행20:22-24). 그것을 예수의 흔적으로 삼고 기뻐했습니다(갈6:17). 우리도 오직 하늘소망으로 주신 사명을 끝까지 감당해야 합니다(히3:6,14).


 고린도교회 성도들의 치명적인 잘못은 종 노릇을 해야 하는데 왕 노릇을 한 것입니다(8절). 무엇보다 고린도교회를 세우로 양육해준 지도자 사도바울은 복음을 위해 죽을 고생을 하는데 그들과 함께 고난에 동참하지 않은 것입니다(마25:31-46). 예수님은 왕이시나 종처럼 사셨습니다. 아멘.

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