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  • 綾瀬東部教会

2021.03.07 メッセージ : 神の国は力にある

聖書:Ⅰコリント4:18-21

題目:神の国は力にある

本文は使徒パウロがコリント教会に行こうとする心を表現しています。彼が言っていることは四つです。第一は、コリント教会に思い上がっている人がいる(18節)。第二は、コリント教会に行って思い上がっている人たちのことばではなくて、力を見せてもらう。第三は、神の国はことばではなくて、力にある。第四は、ムチか愛と優しい心で行くかはコリント教会の信徒次第であるということです。

結局、この四つは順序に並べられる話です。コリント教会に使徒パウロの権威を無視して自ら王になっているかのようにふるまう高慢な者たちがいました。彼らは人間的な知識や知恵、哲学や雄弁、そして巧みな話術でうまく話ができる者たちであるのが分かります。それが彼らの思い上がった原因であるでしょう。しかし、使徒パウロは彼らのことばではなくて、彼らの力を確かめると強調しています(Ⅱテモテ3:5)。なぜなら、主なる神様の国はことばではなくて、力にあるからです。

18節の「思い上がっている」の言語の意味は「風船に風を吹き入れて膨らました状態」です。すなわち、実際よりも大きく見せようとする虚しい努力を指します(コロサイ2:18)。さすがに思い上がっている人はそのことばから現れます。今日、教会の中にもそのような人たちがいます。私たちはそのようになってはいけません。むしろ、力を表す信仰となるべきです。「力」とは御霊のくださる賜物を活用して御霊の実を結ぶ力です(ガラテヤ5:22-23)。

力はことばより生活で現れます。ある人が本当にイエス様を信じて御霊を受けているなら、それに従ってその生活から実を結ぶ力が見えてきます(ローマ14:17-18;Ⅰコリント2:4-5)。使徒パウロも福音をことばではなくて御霊の力で伝えたと告白しました(Ⅰテサロニケ1:5)。結論的に21節にありますようにコリント教会の思い上がって、ことばだけで流暢な信徒たちの悔い改めを促していいます(Ⅰヨハネ3:18)。悔い改めなければムチがあり、悔い改めるなら愛と優しい心があるということです。ことばではなくて力ある信徒となりましょう。アーメン。


성경: 고린도전서4:18-21

제목: 하나님의 나라는 오직 능력에


본문은 사도바울이 고린도교회를 방문하기를 원하는 마음을 표현하고 있습니다. 그가 말하고자하는 것은 네 가지입니다. 첫째는 고린도교회에 스스로 교만한 자들이 있다(18절). 둘째는 고린도교회에 가서 교만한 자들의 말이 아닌 능력을 알아보겠다(19절). 셋째는 하나님의 나라는 말에 있지 않고 능력에 있다(20절). 넷째는 매를 아니면 사랑과 온유한 마음으로 갈지는 고린도교회의 성도들에게 달려있다는 것입니다.

결국 이 네 가지는 순서적으로 이어지는 것입니다. 고린도교회에 사도바울의 지도자의 권위도 무시하고 스스로 왕 노릇하는 교만한 자들이 있었습니다. 그들은 인간적인 지식과 지혜, 철학과 웅변, 그리고 언변으로 말에는 능했던 것을 알 수 있습니다. 그것이 그들의 교만의 원인이 되었을 가능성이 큽니다. 그렇지만 사도바울은 그들의 말을 알아보지 않고 오직 그 능력을 알아보겠다고 강조합니다(딤후3:5). 왜냐하면 하나님의 나라는 말이 아니라 능력에 있기 때문입니다.

18절의 “교만”의 원어의 의미는“풍선에 바람을 넣어 부풀린 상태”입니다. 즉 실제보다 훨씬 과장되게 보이려는 헛된 노력을 말합니다(골2:18). 역시 교만한 자들은 말에서부터 교만이 드러납니다. 오늘날도 교회 안에 그런 사람들이 있습니다. 우리는 그렇게 되지 않아야 합니다. 도리어 능력을 나타내는 믿음이 되어야 합니다. “능력”은 성령께서 주시는 것으로 은사를 주셔서 그 은사를 활용하여 열매를 맺게 하는 능력입니다(갈5:22-23).

능력은 말보다 삶에서 나타나게 됩니다. 어떤 사람이 정말 예수님을 믿고 성령을 받았다면 그에 순종하는 삶을 살고 그 삶에서 열매의 능력이 나타나는 것입니다(롬14:17-18; 고전2:4-5). 사도바울도 복음을 말로가 아닌 성령의 능력으로 전했다고 고백했습니다(살전1:5). 결론적으로 21절에 고린도교회의 교만하여 말만 많던 신자들의 회개를 촉구하고 있습니다(요일3:18). 회개하지 않으면 매가 있고 회개하면 사랑과 온유가 있다는 것입니다. 말이 아닌 능력의 신자가 됩시다. 아멘.

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